優しさの塊
どうもこんにちは、ダンです。
皆さんは優しい人間ですか?
僕は優しい人間です。おそらく。
優しい人間なので、優しい人間の象徴である電車では席を譲ります。
基本席を譲るのですが、一度電車で席を譲って怒られたことがあります。
妊婦に譲るときはタグを見てから。子供連れは子供がいるだけで大変だから確実に譲ります。わかりやすく足を怪我している人にも譲ります。大変だからね。
あと、二人以上のグループでいる人にはちょうど席が隣になるように移動したり譲ったりします。
このように僕は優しい人間です。そう、優しい人間なのです。
その時まではもちろんお年寄りにも席を譲ってました。
あれは高校生の時です。
いつもどおり山手線で座ってるとおじいさんが乗ってきて前に立ったので、「よかったらどうぞ」と席を譲りました。
声色も非常に丁寧な小鳥も眠るくらい穏やかなものだったと思います。するとおじいさんは
「譲らなくていい!」と語気を強めて返してきました。
めっちゃ動揺しましたね。すぐ車両変えましたもん。
もしかしたら自分は優しい人間ではなかったのかもしれない。老人に席を譲ることは本当は優しさでも思いやりでもないのかもしれない。
人間平均一日に2時間は立っている時間がないと病気になると言われている。
故に譲らないことはあまり動く機会のないご老人に運動する機会を譲っているのだと考えることもできる。なので席を譲ることが不健康を加速させているとするならば誇張して言えば席を譲ることで座らせて健康を害させて例えば骨粗鬆症を招かせたのならば、加害者となるのではないだろうか。
だから立つことこそが実は幸せで座ることが不幸せなのではないのかと。
また、自分が健康であるのにも関わらず、お年寄りとして扱われたことによる自尊心に対する侮辱とも考えられる。
その年にもなって故意ではない無意識の侮辱を躱せないなんて。少し寂寥感を漂わせる。
なのでお年寄りについてはまず目を合わせます。
少しでも怒気を含んだ眼差しをこちらに送ってきたら、拗ねて譲りません。一歩も動きません。絶対譲ってあげないもんね。
笑顔でこちらにはにかんできた人だけ譲ります。
きっと譲ってほしいからはにかんだので。
人当たりの良い人には良いことが巡ってくるってやつです。
人当たりよく生きていきたいものです。
何が言いたいのかわからなくなってきた。
つまり優しさの裏もまた優しさなのかもしれない。
そのことに気づかせてくれたおじいさんには感謝です。ありがとう、おじいさん。
今度あったらミルキーあげるね。
優しさの塊。
以上。