真・女神転生
どうもダンです。
価値観っていうのは今現在まで触れたもの、環境で決まると思っています。
僕が一番影響を受けたのは女神転生シリーズです。
女神転生はかんたんに言えば悪魔を倒すRPGなのですが、悪魔に話しかけて交渉して仲魔にするシステムや、エンディングがカオス、ロウ、ニュートラルの3種類あるという点が特徴的だと思います。
このカオス、ロウ、ニュートラルの3種類が自分の価値観を作り上げたと思います。
カオスは自由。
なにをしても許される。これだけ聞くといいような気もするが、秩序がないので力こそが正義という世界になってしまう。世紀末的なエンドになってしまう。
ロウは秩序。
秩序こそがすべてで、秩序をもとにすべてを管理した世界にするというもの。ディストピア的なエンドになってしまう。
ニュートラルはこれらの中間を示す。
これらそれぞれカオスにはカオスのボスが、ロウにはロウのボスがいる。
しかしニュートラルにはニュートラルのボスがいない。なぜならニュートラルルートはカオスとロウのボスが出てくるのだ。
ここがすごい好きなのだ。
理論上、ニュートラルに肩入れしてしまう。
これは僕の意見なのかもかもしれないが、そりゃ秩序が強すぎてもやりたい事ができないだろうから嫌だし、自由すぎると自分が虐げられるだろうから嫌なのだ。
ニュートラルは中庸であると言えるだろう。アリストテレスが言ってたやつだ。ミソスープか、メソテースか。
勇気において、過剰であれば蛮勇となり不足すれば臆病となるという過剰でも不足でもだめ、中間が最適ですよ〜ってことだ。
過剰はもう過剰の方向にガンガンアクセルを踏めばいいだけ、不足であればずっとブレーキを踏んでいればいいだけなので難しいことはない。アクションは一つなのだから。
中庸はそうは行かず、アクセルを踏みつつブレーキも適度に踏んで法定速度を維持するわけだ。中庸はすべき行動が2種類ある。それも対極的な2種類だ。故に中庸は難しいとされている。
真女神転生もそうだ。カオスはボス一人、ロウはボス一人、ニュートラルとなるとカオスとロウのボスを倒さねばならない。
めちゃくちゃ大変だった。
反射のマーラがいなかったらどうなってたか。
真・女神転生シリーズは考えさせられるのでいいゲーム。ぜひプレイしてほしい。
初代はswitchONLINEに登録してたらプレイできるし、3はリメイク出てるしプレイ環境は整ってるよ。
劇場には気をつけて。
ああ、悪魔合体しなきゃ。
以上。